資格を積んでも満たされなかった理由、やっとわかった

頑張ってるのに、なんかズレてる気がする

頑張ってるのに、なんかうまくいかない。

そういう感覚、ありませんか。

とにかく、動こうとしてた。

隙間があれば、何かで埋めようとしてた。

・子どもの予定を入れる。
・興味があることをやってみる。
・午前中が空いてたら、オンライン講義を入れる。

周りからは「いつ休んでるの?」って言われてた。

でも、やるべきことをやってたわけじゃなかったと思う。

今思えば、 「本当に何をすべきか」を考えることが、怖かったのかもしれない。

それと向き合う隙間ができないように、 いろんなことで埋めようとしてたんじゃないかな。

空白があること自体が、不安だった。

なのに、どこかズレてる気がしてた。 満たされない感じが、ずっとあった。

わたしは、ずっとそうだった。


資格を積み上げれば、安定できると思ってた

最初に資格を取ったのは、栄養士だった。

興味もあったけど、正直に言うと 「食いっぱぐれない仕事がしたい」という気持ちの方が強かった。

その後、看護師の資格も取った。

ケアマネも取った。

他にも、何か役に立ちそうなものがあれば、勉強した。

資格を取るたびに、安心した。

でも、安心するだけではダメだと思って、その資格を使って仕事をした。

「若い時の苦労は買ってでもしろ」 そういう言葉を、信じてた。

間違ってるとは思わない。 今でも、そう思う。

でも当時のわたしは、 何のための苦労かを考えていなかった。

これを成し遂げたい。 将来こうなりたい。 そういうゴールに向かう苦労なら、意味がある。

でも「これを取れば安心」「食いっぱぐれない」は 半分正解で、半分間違いだったんじゃないかな。

だって、その先に大事な前提が隠れてたから。

身体が動くこと。
精神的に健康でいられること。
現場に行ける環境があること。

その前提が崩れたら、 どんなに積み上げても、使えなくなる。

当時のわたしには、その前提が見えていなかった。

動いてた根っこは、不安だった。

やりたくないことは後回しにして、 やりたいことに集中する。

夢中になってる間は、それでよかった。

でも、ある程度納得した瞬間に、 後回しにしてたものが暴れ出す。

「やっぱり、嫌だ」って。

苦労って、やりたくないことをやることなんだろうか。

それとも、やりたいことのための付属品を我慢することなんだろうか。

当時のわたしには、その区別ができていなかった。

とにかくいろんなことをやってみたかった。

でも反対に、一つのことに絞れない焦りも生まれた。

ただ、今思えば全ての経験が今につながっていて、 結果的に全て必要なことだったとは思ってる。

当時のわたしにとって、「頑張る」とは 資格を取って、現場で働いて、給料を得ることだった。

フルタイムで働けること。
賞与がもらえる環境にいること。
それが「安定」で、安定こそが正解だと、疑いもしなかった。

正社員でフルタイム、賞与もある。

長期的な計画も立てやすい。

退職金も、老後の見通しも、ある程度見えてくる。

そのルートに乗りさえすれば、 あとは何も考えなくても、幸せになれるんじゃないかって。

そう信じてた。


前提が、崩れた

でも、ある時期から、その前提が崩れはじめた。

子どもが学校に行けなくなった。

親の介護が始まった。

「現場に行く」こと自体が、難しくなった。

頭の中がぐるぐるした。

これまで積み上げてきたものが、急に使えなくなる感覚。

じゃあわたしは、どうすればいいんだろう。

そのとき初めて気づいた。

問題は、資格じゃなかった。

資格の使い方が、 「正社員・フルタイム・現場に行く」 という働き方を前提にしていたんだ。

その前提ごと、崩れた。


人間は、現状を守ろうとする生き物

なぜ、そうなるんだろう。

人間には、現状を維持しようとする本能がある。

変化はリスクだから、無意識に「今のやり方」を守ろうとする。

だから「安定=フルタイム=正解」という考えを 自分の正解と思っていた。

そうするのが当たり前だと思ってた。

疑う必要すら、感じていなかった。

でも、それって自分が選んだ正解じゃなかったんだよね。


努力は間違ってなかった。方向が、ズレてただけ

努力は、間違ってなかった。

その時の環境で、その時の自分が出せる精一杯をやってきた。

ただ、「どんな形で叶えたいか」を、自分に聞いたことがなかった。

目的はわかってた。 家族や自分が幸せになるため。

でも、その叶え方を、自分に問いかけたことはなかった。

本当は、自由に動きたかった。 時間も、場所も、働き方も。

その気持ちに気づいたのは 「やりたいこと」を探したからじゃなかった。

仕事で「嫌だな」と思ってきたことを 書き出してみたところから、始まった。

時間を縛られること。 場所を固定されること。 自分のペースで動けないこと。

そういうことが、ずっと嫌だったんだと気づいた。

やりたくないことを、ちゃんと知ろうとしたら 本当に望んでいたものが、見えてきた。

そしてもう一つ、気づいたことがある。

好きとか、得意とか、 そういう大げさなことじゃなくていい。

気づいたら手に取ってた。 気づいたら目で追ってた。

そういう小さなこと。

意識してたわけじゃないのに、 なぜかそこに引き寄せられてるもの。

それを、もっと早くから ちゃんと拾い上げればよかったなって思う。

それが突破口だったんだと、今はわかる。


働き方を、変えた

私の場合は、働き方を変えるという選択をした。

どう変えたかは、また別の記事で話そうと思う。

でも、変えてみてわかったことがある。

24時間は、誰にでも平等にある。 その量は、何も変わっていない。
でも、同じ24時間が 前とは全然違う色に見えている。

頑張り方が変わると、 時間の見え方まで変わるんだと、初めて知った。


あなたの頑張りは、間違ってない

頑張ってるのにうまくいかない。

そういう時って、つい 「わたしの努力が足りないのかな」

「もっとやらなきゃいけないのかな」 って、自分を責めてしまいがちになりませんか。

もしそう思うなら、あなたはちゃんと、頑張ってきた。

動いてきた。 その事実は、変わらない。

ただ、頑張る方向が 今の自分の状況や、本当に望んでいることと 少しズレていただけかもしれない。

努力の量じゃなくて、向きの話。

それって、あなたのせいじゃない。

だって、「こっちに向かって頑張るのが正解」って 誰かに教わって、そのまま走ってきただけだから。

疑う間もなく、ただ走ってきた。

それって、真剣だった証拠だと思う。

もし今、なんかズレてる気がするなら、 それは立ち止まっていいサインかもしれない。

頑張り方を変えることは、 諦めることじゃない。

自分に合った方向を、選び直すことだから。


こういう話を、これからも書いていきたいと思っています。
またふらっと読みに来てくれると嬉しいです。

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