やりたいことを先送りにしてませんか。看護師として気づいたこと

「やりたいことを先送りにしてませんか 看護師として気づいたこと」
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やりたいこと、先送りにしてませんか

いつかやろう。
もう少し落ち着いたらやろう。
子どもが大きくなったら。
仕事が一段落したら。

そういう感覚、ありませんか。

気づいたら、自分のための時間が 一番後回しになってる。

家族のこと、仕事のこと、 やらないといけないことは山ほどある。

タスクをこなしていく。

一個片付けたら、また次。 それをこなしていくことで、 ちゃんとやってる、という感覚はある。

でも、本当に自分が大事にしたいこと。

人生において、自分がどうありたいか。

そういうことは、 全部片付いてから、と後回しになってる。

子育てが一段落した時、

介護が終わった時、

仕事に一区切りついた時。

その時に初めて気づくのかもしれない。

あれ、わたし、何がしたかったんだっけ。

やりたいことはある。

でも、今じゃなくていい。 そう思ってる自分が、どこかにいた。

それって、大きな夢の話じゃなくて。

あそこ行ってみたいな。

友達とゆっくり話したいな。

あの本、読んでみたいな。

そういう、小さなことだったりする。

できないわけじゃない。

頑張ればひねり出せる時間が、 きっとある。

でも計画するのが手間で、 他にもやることがあって、 じゃあ落ち着いてからでいいか、ってなる。

気づいたら、ずっと後回しのまま。


看護師として見てきたこと

看護師として働いていた時、 自分の意思では自由に動けない患者さんたちと 関わる機会が多くあった。

食事も、行動も、制限がたくさんある。

「できること」が、どんどん狭くなっていく。

その中で生きている人たちを、 目の当たりにしていた。

病室でケアをしながら、 お話しする時間があった。

関係性ができてくると、 自然と会話が生まれる。

その中でぽつりと言われた。

「忙しい日々を送ってると思うけど、 いつ何が起きるかはわからないよ。
やろうと思った時にやらなあかんよ。」

その場では、そうですね、と頷いた。

でもその後も、ずっと頭から離れなかった。

看護師になったのは、 最期に向かう人に対して 何かできることがあるんじゃないかと思ったから。

お手伝いしたくて、なったはずだった。

でも実際は、 こちらが教わることの方が ずっと多かった。

だから、重かった。


他人事じゃなかった

ある日、 自分とほとんど年齢が変わらない患者さんが亡くなった。

カルテを見た時、ドキッとした。

あ、この人、わたしと変わらない歳だ。

それまでも、患者さんから言葉をもらうことはあった。

でもどこか「自分より先を行く人の話」として 聞いていたのかもしれない。

今回は違った。

この人はどんな人生を送ってきたんだろう。

人生そのものは、わからない。

でも、他人事とは思えなかった。

これは現実に起きていることなんだ、と 初めて体で感じた瞬間だった。

「自分が今死んだら、子どもにどんな影響が出るんだろう」

真剣に考えた。


毎日が続くのは、当たり前じゃないけど自然なこと

先送りにしてしまうのは、 当然だと思う。

だって、今を生きることに必死だから。

子育て、介護、仕事、家事。 目の前のことをこなすだけで、 一日が終わっていく。

その中で「自分のこと」を じっくり考える余裕なんて、 なかなか持てない。

それって、怠けてるんじゃなくて 今を一生懸命生きてる証拠だと思う。

実際、ほとんどの場合、 毎日はちゃんと続いていく。

だから、明日も来ると思うのは おかしなことじゃない。

むしろ、自然なことだと思う。

ただ、その「続いていく日常」が 突然変わることが、ある。

今を大切に、が未来につながる

そうした経験から、思ったことがある。

「もっと頑張らなきゃ」じゃなかった。

「今あるものに、感謝しよう」だった。

今日動けること。
今日話せること。
今日選べること。

それが、どれだけ貴重かを人はたいてい、失ってから気づく。

でも、今持ってるものって 本当はたくさんあると思う。

ただ、気づきにくい環境でもある。

生まれた時からそこにあったものは、 あって当たり前になってしまうから。

最近、気づいたことがある。

車で田んぼの横を走っていた時、 干された稲を見てふと思った。

お米って、誰かが作ってくれてるんだ。

お金を出せば買える。

でもそのお米一粒に、 田んぼを作るところから、 育てて、収穫して、流通させるまでの たくさんの人の苦労がある。

水道だって、そうだ。

蛇口をひねれば水が出る。 でもその水が届くまでに、 どれだけの人が関わってくれているか。

考えてみたら、 世の中に溢れているもの全てが 誰かの手を経て、自分のところに届いてる。

漠然と理解してたつもりだったけど、なんか腑に落ちた。

ああ、自分一人でできることなんて、 たかが知れてるなぁ。
人の手を借りずに生きることなんて、 できないんだなぁ。

感謝って、最初から湧き出るものじゃないと思う。

「当たり前じゃない」と気づいた瞬間から、 少しずつ始まるものなんじゃないかな。

感謝って、最初から湧き出るものじゃないと思う。

まず、知ることから始まる。

当たり前は、当たり前じゃない、と。

そこから少しずつ、 今あるものが見えてくる。

そして、今を精一杯生きることが、 未来につながっていくんだと思う。


こういう話を、これからも書いていきたいと思っています。

気になったら、またふらっと読みに来てください。

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